2013年10月の日記
10/5(土)
想像力と行動
最近、アルバイトがツイッターなどに悪ふざけ画像を投稿し、お店が閉店に追い込まれるというニュースをよく耳にします。
彼らはなぜそんなことをしてしまうのでしょう。
教える立場として思うことがあります。その理由に「想像力の欠如」と「自分の行動に理由がない」ということがあげられます。
「想像力の欠如」についてですが自分のやったことがどういう影響をもたらすのか考えることができない状態です。よいこと悪いことの判断は小学生でもできます。でもやったことの結果がどうなるのか想像できないから、深く考えもせず行動に移してしまうのです。これは親のしつけが影響していると思います。悪いことに対してむちゃくちゃ怒られた経験があれば、もう絶対しないでおこうと思えます。そうやって常識や良心を学んでいくのではないでしょうか。ツイッターなどは親が子どもの時になかったものですから、そういうものに対してまともに教育を受けてません。だから、その子が持ち合わせている常識や良心で行動するしかなくなります。それを育てるのは親の役目です。
そんなに怒られた経験がないんだろうなと感じてしまう子がたくさんいます。もちろんしつけに関して厳しくされているのだろうなと感じる保護者もいます。でも注意したり怒ったりしても、厳しさの質が違うというか・・・。教師も昔ほど怒れないようですし。怒られた経験がない子の方が多数を占めてくると、どうしてもゆるい空気が蔓延します。そんな空気が常識では考えられないような事件を巻き起こすのではないでしょうか。
「自分の行動に理由がない」については、自分がした行動に特に理由がないということです。これは教えていて非常によく思います。そして危険です。何か質問すると考えるより先に適当な答えを言われます。「なんでそう言ったん?」と聞くと、そう思ったからだそうで、そこに特に理由がありません。学習の場でこうなのだから、日常生活でも考えて行動していないんだろうなと推察されます。
間違った答えを言うのは構いません。でもなぜそう言ったのか、その子なりの理由がほしいのです。問題を解かせても、分からないなら空けておくなり、質問をすればよいのに、そうせず、適当な答えを書いて、「なぜそう書いたの?」と聞いても答えてくれません。
これは単に学力が低いという問題ではありません。適当に書かれるより空欄だらけの方がまだましです。
「わからない、できない、知らない」から適当にするというのでは大人になった時、日常生活にも支障が出るのではないでしょうか。このような状態では、大げさではなく、犯罪と知らずに犯罪を犯すということも起こりえます。